梅原先生の早期復職を要望する嘆願文
これらの文章は、梅原先生でなければならない、梅原先生でしか治して頂けないという患者の、まさに命に関わる悲壮な嘆願文です。梅原先生の早期の復職を願い、裁判所に提出されました。
「梅原久範先生を支援する会」には、ここに掲載されている以外にも、梅原先生に早く戻ってもらい診察して戴きたいという多くの患者様からの声が寄せられています。
また、「患者の声」は随時募集を受け付けておりますので、ご支援いただける方は問合せフォームまたは郵送にて、お寄せください。
[患者の声01 石川県H様]
難病患者が抱えている不安がどれ程のものか、
私達が頼りにしている主治医を解雇した金沢医科大の方々は、本当に理解されていますか?
毎日毎日少しずつ命が削られているような不安と直面した事がありますか?
もしも患者の事を少しでも考えているならば、私達の病気が少しでも良くなって欲しいと望んでいるのであれば、今すぐに梅原先生を、私達の主治医を返して下さい。
診察日はいつも緊張します。
病気の進行はどうだろう?
前回と同じであればいいけど、悪くなってたらどうしよう?
不安な気持ちて診察室のドアを開けると
”お一待たせてごめんな一
どうや~変わりないか~”
この第一声で、緊張がほぐれるんです。
顔を見るだけで、声を聞くだけで、安心するんです。
この人に、何年も命を守ってもらってきたんです。
簡単にすげ替えができる存在ではないんです。
これから先もずっと安心して診察を受けさせてもらえるものだと思っていました。
余りにも突然の話にパニック状態です。
毎日不安でたまりません。
梅原先生を支援する会の代表である私の元に、患者さんの声が届きます。
’私は、インターネットで検索してやっと梅原先生を見つけました。
遠い所から医科大に通うのは、梅原先生に診察して欲しいからです。先生がいなく
なったらどうしたらいいんですか?
病気は待ってくれないんです‘
‘先生がいないと思うと不安でたまらないです。
何とかして下さい’
病気にとって、ストレスは天敵です。
主治医がいなくなる事で患者が抱えるストレスの大きさがどれ程のものかわかって
いただけますか?
心からお願いします。
私達の主治医を返して下さい。
金沢医科大学という病院が、本当に患者の回復を願っている病院であると信じたいです。
[患者の声02 福井県I様のご家族]
私は一患者家族として、また梅原先生を支援する会の一員として一筆差し上げております。
この度の梅原教授解雇!の報道には強い悲しみと不安と無念さを感じずにおれません。患者仲間からは
「私は梅原先生に命も心も救われてきたのに主治医不在で、この先どうすればよいの? 」
「病気で不安なのに、梅原先生に診てもらえないと思うだけで益々病気が悪くなりそうだ 」
「こんなに良い先生をなぜ私たちから取り上げるの?大勢の患者のことを一つも考えない病院に怒りを覚える」
「梅原先生をやっと探し当てて医科大に行った。先生がいたから頑張って来られたのに。こんなことをして病院はなぜ平気なの? 」
などの声が私にも届いております。
私は先生を、京都・武生・金沢と追いかけ、十年以上もの間、入院・通院・ボランティアのお付き合いを通して、じかに見て感じて参りましたので、誰よりもよくわかっていると思います。梅原先生は、難病患者を救いたい一心で、長年に渡り、文字通りご自身の寝食を削ってまで研究や診療に全力で取り組まれ、沢山の患者の診療だけでなく、個人的な悩み事にも親身に相談に乗って来られました。暗く辛い闘病生活をユーモアで、励まし、いつも明かりを灯して下さいました。
待合で見ていると、先生の診察室から出てくる患者さんの顔は皆さん笑顔でした。家庭の問題と大学受験で、京都にて苦闘中の我が子を応援するために、いくらご実家が京都とはいえ、お忙しい中、わざわざ金沢から私たちを訪ねて支えて下さったのも先生です。先生はまた、長きに渡って、行政開催の難病患者支援の催しやリウマチなど各種疾患の各地の患者会行事にも快くボランティアでご尽力されてきました。特に、リウマチ膠原病内科を専門とする医師が少ない、北陸で苦しむ患者のために、膠原病支援ネットワークではご自身が中心となって、北陸の難病患者のまさに灯台になって来られました。この北陸の地において、これだけの活動を全く無償で、しかも毎年沢山の先生方や行政のご協力を得て、継続することの大変さ、そのご苦労を、私は骨髄バンクの活動経験から分かっております。(膠原病支援ネットワークのパンフレットにも書いた通りです)学究面でも国際的な立派な研究を重ねてこられたと聞いていますが、誰に対しでも微塵も偉ぶることのない先生です。医師と患者の関係においても、人間と人間の付き合いを忘れることのない、難病の患者の心に寄り添える素晴らしい名医なのです。他では診断が下りなかったり病状の安定しない患者さんも救ってこられました。(複数例の患者さんご自身から病の経緯を聞きました。)
失礼な表現かも知れませんが、多くの医師がベンツやBMW など高級外車に乗るのがステータスのような社会通念ですが、先生は、ずっと質素な車に、質素な服装、つつましい生活ぶりで、そういった金品への欲は感じられず無頓着ですが、患者を救うこと、教育、世界的な研究に人生を捧げておられる方です。医学生さんが選ぶTeacher of the Year にも選出され、その時の記念品(似顔絵つきのマグカップ)をとても大切にして何よりの誇りにしておられます。
こうしたこと全てから、先生を心から慕い、尊敬し、全幅の信頼を寄せているのは、私たち患者・患者家族だけではなく、沢山の先生方や医学生さんも同じだと必ずやご理解いただけるはずです。
負けるが勝ちという言葉があります。長いものには巻かれろという言葉もあります。そうと判っていても、沢山の患者さん、医療・研究・教育の場、ご同僚・後進の先生方、学生さんたちなど全てをご自身より大切に思うからこそ、どうしても、あるべき姿を追い求め、清らかな風を通したかったのだろうと私は推察し、この一連の騒ぎの正体が何であるかを見ています。正しくあろうとした結果がこんなことになる世の中でよいのでしょうか・・。世の大きな損失です。
医師としても人間としてもこんなに素晴らしい人情味溢れる名医を、どうか一日も早く医療の現場に返して、これまで通りの診察や研究が続けられるようにして下さい。どうか沢山の難病患者を安心させてください。梅原先生でなくてはならないのです。ここに書いたことは全て私が見て感じてきた真実のみであることを誓います。迅速な地位保全の御措置を心よりお願い申し上げます。
[患者の声03 福井県M様]
「北陸膠原病支援ネットワーク」の灯を消さないでください。私は福井県二州管内で「敦賀膠原病友の会」という患者会の代表をしている者です。「膠原病」という病気は原因不明で治療法が確立されていないだけでなく、よい状態と悪い状態を繰り返し、入院期間も少なくなく、対症療法でしか療養していくことができない難病です。
そのため、患者は定職に就くこともままならず、見かけは元気そうに見えるため、家族や職場など周囲の理解もなかなか進まず、だんだん不都合になる身体を抱えて、身体的な苦しみだけでなく、経済的な負担や精神的な悩みにも、計り知れないほどつらく重いものを持っています。
また、おもに治療に使用されるステロイド剤には、重篤なものを含め、さまざまな副作用があり、患者は一生その副作用に脅え、悩み続けることにもなり、現在ずっと長期入院を余儀なくされている私自身もそのひとりです。
かつて北陸三県では、福井県以外では膠原病の患者会というものがまったくなく(かく言う福井県の患者会もさまざまな理由でほとんど解散しました)、患者は前述のような深刻な悩みを抱え、数少ない情報だけを頼りに右往左往するばかりの状況でした。けれども、9 年前、梅原先生はこの現状を見据え、なかなか情報が入りにくい北陸の地で、富山・石川・福井の県境を越えて、患者・医療・行政・企業の4 者が、互いに協力して膠原病患者を支援するという画期的なネットワークをゼロから立ち上げてくださいました。患者としては大変心強く、これまでの長く苦しかった真っ暗な海の中に小さな灯台の灯りを見つけたようでした。
しかし、これまで先生が顧問となって8回にわたって開催しているこの「北陸膠原病支援ネットワーク」は、やっと今、起動に乗り始めているところというのが実状で、今後も継続し、ますます発展させていくためには、病気の当事者が重い病を抱えながら個々の力だけを集めて運営していくというのはとうてい無理な話で、先生のお力をお借りしなければならないところが大であり、特に所属医療機関を越えて専門的な医療者を集めたり、たくさんの製薬会社から支援を受けたりということになると、厚生労働省難治性疾患克服研究事業にも取り組んでおられる、梅原先生のネットワークなしには成り立つことができません。
また、臨床の場で数々の症例と真摯に向き合いながらも、患者の目線でともに悩み、ともに病気と闘ってくださる先生の、あたたかな心のこもった診療の様子は、先生の紹介で当会に入会くださった患者さんからも常々聞かされているところで、ある患者さんは「先生のお陰で、これまで悩み苦しんでいた日々が嘘のように、今はきちんと病と向き合えるようになった。そして、心と身体が安定してパートだけれど仕事にも就けるようになった」と話しています。
一方、先生は個々の患者だけでなく、患者同士の交流や患者会活動、またピアカウンセリングにも力を注いでおられ、同じ膠原病の人がどのような日常生活を送っているのかなど、患者個人では知る由もない相談事の解決にも積極的に力を貸してくださり、私たち「敦賀膠原病友の会」に対しても、これまでさまざまな形で惜しみなく支援してくださいました。
患者にとっては、このようにあたたかな心のこもった診療をしてくださる主治医を、患者の目線に立った診療を常に心がけておられるからこそ患者の深い悲しみや悩みを理解できる数少ない医療者を、大学側の都合だけで奪われること。せっかく県境をまたいで、培ってきた患者同士の繋がりや患者の心の拠り所としての「北陸膠原病支援ネットワーク」の灯を無残に消されることは悲しくてなりません。また、今後先生のような患者の立場に立った医療者をたくさん輩出してくださるための、血液免疫治療学教室としての礎がなくなることも非常に残念なことです。
金沢医科大学には、梅原久範先生のような患者のために惜しみなく力を注いでくださる先生が必要だということ、せっかく灯った「北陸膠原病支援ネットワーク」の灯を消さないでほしいということを、私たち患者の叫びとしてお聞き届けくださいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[患者の声04 石川県T様]
私は、膠原病の一つである「関節リウマチ」 という難病と、19 年間闘い苦しんできた患者の一人です。
梅原久範先生に初めてお会いしたのは、8 年前の6 月、そんな闘病中のことでした。梅原先生のユーモアを交えた明解な医療講演は、医師と患者の壁を一気に取り壊して、会場は笑いの渦に包まれたのを、今でも鮮明に覚えています。
当時、医師に患者としての思いを伝えることが出来なくて、辛い思いを経験した患者は少なくありませんでした。医療は医師のものであって、患者との共同というにはまだまだ不十分でした。そんな時、患者の緊張をジョークでほぐし、患者の思いをありのままに伝えることが出来る梅原先生との出会いは、本当に嬉しいことでした。
その後間もなく、梅原先生は「北陸膠原病支援ネットワーク」という、膠原病患者を応援する会を立ち上げられました。患者・医師・行政が一同に会することは画期的で、北陸三県では初めてのことでした。毎年秋に開催される「北陸膠原病支援ネットワーク総会」を、リウマチへの理解が深まる場として、私もサポーターの一員として大変期待してきました。一人で悩んでいる膠原病患者がいる中、多くの応援してくださる方々が出来ることは、本当に心強いことでした。この8 年間で「北陸膠原病支援ネットワーク」 は、リウマチに限らず膠原病患者にとって、なくてはならない存在になりました。
また、医系学生さん達もこの会へのボランティア協力を通して、膠原病患者の“生の声”を聞く良い機会となり、難病への理解が深まり、必ずや未来への生きた経験となっていることだと思います。
梅原先生は、私達患者と同じ目線に立ち、患者を笑顔にさせてくださる素晴らしい医師であり、教育者です。また、「北陸膠原病支援ネットワーク」では、患者も医師も行政も対等平等で、一人ひとりの声が運営に反映されています。ですから私は、梅原先生が解雇されたことが信じられません。
どうか、梅原先生を金沢医科大学に戻してくださるよう、切にお願い申し上げます。
[患者の声05 石川県Y様]
私は今、元気です。仕事をすることができます。趣味を満喫することができます。
十年前の私では、考えられないことです。
痛い、つらい、思うように体が動かない。なのに数字には表れない。そのためか、なかなか合う薬にも出会えず、薬の副作用で倒れ、入院したこともありました。痛みがあって普通に歩くことができず、通りすがりに奇異の目で見られることも、日常茶飯事でした。
そんなままならない体を元に戻してくださった医師が、梅原先生です。
パソコン画面ばかりを見て、こちらには顔だけを向けてくるという医師もいる中で、梅原先生は、体ごと私たちと向き合ってくださいます。そして、画面の中の数字だけではなく、私たちの声も信じてくださいます。ちゃんと目線を私たちに合わせ、治療のこと以外にも、楽しいお話で私たちの心を和ませてくださいます。
「病院に来るのは嫌だけど、梅原先生と話すのが楽しいから来ている」という患者さんの声を耳にしたことがあります。入院中には「今までは教授回診なんて、教授が回ってきて偉そうにちらっと診るだけで、そんなのでいったいなにがわかるんだと思ってたけど、梅原先生の回診は楽しみなんだ」という声もありました。
これまでに多くの患者さんが、梅原先生に救われてきています。
病気が原因で仕事を辞めることになり落ち込んでいた私を、梅原先生は“北陸膠原病支援ネットワーク”のサポーターに引き入れてくださいました。仕事を辞めて、自分には何もなくなったと思っていた私にとって、それは大きな救いでした。
私たち患者は、病気になった時点で、闇の中に落とされます。先が見えなくなり、言いようのない不安と、恐怖と、苦しさの中に落とされます。そんな状況から救い出してくださったのが、梅原先生です。梅原先生は、私たちに明るい未来を見せてくださいます。希望を、持たせてくださいます。
病院とは本来、こんなふうに患者さんを救う場であるはずです。
救うというのは、体だけではなく心も伴っていなければいけないはずです。
梅原先生ほど、このことを自覚し実行してきた医師が他にいるでしょうか。
重い責任と覚悟を背負い、これほど人のために尽力してきた医師を、私は他に知りません。
どうか、私たち患者の声を聞いてください。
どうか、私たちから梅原先生という素晴らしい医師を、奪わないでください。
梅原先生の一日も早い復帰を、心から望みます。
[患者の声06 石川県K様]
娘が体調の異常を感じたのは15 歳の秋でした。
極度の貧血で緊急輸血をし、3 か月の入院を経て一時退院をするもまた体調悪化で再入院という状況で、種々の検査の結果、何とか病名がつけられましたが、当時の主治医はその専門外。内科の医師もサポートして下さいましたが15 歳としづ成長期の子供の治療ということにおいては、その前例がないという状況でした。
この病気に対する最も効果的な治療薬はその副作用も厳しく、時に思春期の女子にとっては、命と引き換えにするにはあまりに重い荷物も背負わなければならない薬で、まさにそのさじ加減が患者のQOLを左右するといっても過言ではありません。なんとか経験のある専門医をと思い難病支援センターに連絡すると、たまたま近日中にその専門医の相談日があるということで、お願いして面談していただいたのが梅原先生との出会いでした。
梅原先生は、私の話を熱心に聴いて下さり、治せるかどうかは分かりませんが自分の所で診ましょうと言って下さいました。しかし転院についての不安を私が口にすると、患者さんにとって一番いいと思うことを皆がすればいいのだからと、その場で当時の主治医に向けて、丁寧な手紙(紹介状)を書いてくださいました。
またその席では梅原先生に温かい言葉をたくさんかけていただいたのですが、中でも折に触れ私が思い出す言葉が、「普通に学校生活を送って、普通に大人になれるように支えていきましょう」という言葉です。普通に生活できることの幸せを私に教えてくれる大切な言葉です。
その日以来7 年間、先生はいつも私たち親子を支えて下さいました。立ちどまったり、迷ったりしたときは後ろから優しく背中を押して下さいました。医師の立場からしたら本当は家で大人しくしていてくれればいいのにと思われたでしょうに、いつも先生は病だけではなく娘の人生をみて、普通であるために心を砕いてくださいました。
検査結果が思わしくない時も、いつの間にか雑談になり気が付けば笑いながら診察室を出ていた、というような先生のお心遣いが、どれほど私たち患者の心の支えになっていることか。
梅原先生の診察は毎回、待たせてごめんな一大分待ったやろ一。という大きな声と笑顔で始まります。先生こそ朝早くから休みなしでお疲れでしょうにと、いつも恐縮しておりました。支援ネットワークの講演会の時も、駐車場から沢山の資料を台車に乗せて、自ら運んでおられました。大学病院の教授いう言葉からイメージされる人物像を、良い意味で裏切る姿をいつも見せてくださいました。
娘を健康で、丈夫な体に産んでやれなかったことは、母としてとてもつらく、切なく、悲しいことではありますが、そんな中でも梅原先生という主治医を得たことは、私たち親子にとってこれ以上ない幸いで、あったと思っています。
お陰様で娘は県外で大学生活を満喫し、無事就職して社会人になりましたが、未だ病との戦いは続いております。
まだまだ梅原先生の支えを必要としております。どうか一日でも早く全てが元通りになり、いつものように診察室でお目にかかれますように切に願います。そして何より梅原先生の名誉が回復されますよう心よりお祈りいたします。
[患者の声07 福井県I様]
初めての入院で不安で泣いてしまう患者さんに、どっさりある仕事に追われ寝不足の中、楽しい話を聞かせて不安を吹き飛ばして、寒いと言えば自分の上着を貸してくださり、闘病で落ち込んでしまったときには、先生の好きな曲をなんでこの曲が好きか話しながら勇気づけて、目の見えない患者さんには歌を歌ってあげて。
こんなにも患者さんのことをいつでも第一に考えて心に寄り添える素敵な先生に、私は出会ったことがありません。
突然体調が悪くなり、意識も朦朧として恐怖を抱えながら病院にいったときには、病院に着くなりすぐに私に駆け寄り素早い対処で、命を救ってくださった先生。あの時の先生の真剣な顔と、名前を呼んでくださる大きな力強い声を、私は一生忘れません。ああ、もう大丈夫だ、先生がそばにいてくれるんだから。苦しくて苦しくて仕方なかったのに先生の顔を見た瞬間に恐怖がなくなりました。
先生がいてくれるだけで、どんなに安心することか。先生が笑うと、自然と私も笑顔になって嬉しくなってしまいます。
退院の時には、診察がぎっちり詰まって忙しい中、息をきらして見送りに来てくださいました。
いつも忙しく走り回り、自身は体調が悪かろうが心筋梗塞を起こしかけて倒れようが、休むことなく患者さんのためにと行動してばかりの先生のことを、私の方が心配になるくらい、本当に頑張って頑張って無理ばかりの先生に、胸が熱くなります。
大好きな心から信じる先生が苦しんでいるなんて、耐えられません。
私も先生に何かしたい。そう思うけれど、何もしてあげられず、悔しくて仕方がありません。
どうか、こんなにもあたたかい先生を、私達から奪わないでください。
[患者の声08 石川県N様]
私と梅原先生が出会ったのは約8年前でした。
その時の私は、出産を境に手足の激痛が出始めました。
もともとS LE (全身性エリテマトーデス)という病気を持っていたので、そのSLEの再燃かと思い、当時の主治医にかかりましたが、CRP(炎症 反応)が出ないので育児の頑張りすぎの疲れだと言われ、治療をしませんで した。
でも、それからも痛みはどんどん進み、手足の関節が赤く腫れあがってしま いました。その後も主治医にCRP の数字が出ていないので大丈夫と言われ、 治療してもらえなかったので、その医師に不信感を抱き、何件か別の病院へ いきましたが、どの病院も同じように言われました。
痛みも絶頂に達し、寝たきりになってしまっていたところ、 免疫の専門医である医科大の梅原先生の存在を知り、藁をもすがる思いで診 ていただくことになりました。
そこで、梅原先生にC R P は出ていなくても、他の検査やリウマチ因子は陽性で、症状などをみても、これはリウマチであると言われました。病名が確 定したことで、私も家族も気持ちが救われました。
梅原先生に出会うまでの治療が遅かった為に、もうその時に私の痛みは最高潮に達しており、24時間1分1秒休むことなく痛みが続き、特にひどい時は寝たきりで、痛みが強すぎ自分が上を向いてるのか下を向いているのか、 今が昼なのか夜なのかも分からない程の激痛の世界の中にいました。 1日に4回も座薬を使っても、痛みが治まらない状態まできていました。
梅原先生に診断していただき、治療が始まって、それで、やっと痛みは軽減し、 不自由ではありますが、動けるようになりました。
薬も長く続けていると、体が薬に慣れてしまいだんだん効果が薄れてしまい ますが、その時々の私の状態、症状などをじっくり考えて、薬の量を増減し たり薬をかえたりと、いろいろな方法で治療してくださいました。
すべて、梅原先生という良いお医者様に出会えたお陰だと思います。私は特に検査の数字として現われない難しい症状でもあり、もともとのSLEを持っていたことで、それと決めつけられ、他の病気を疑われずに、何人ものお医者さんに見過ごされてきて、こんなにつらいのに・・こんなに痛い のに・・なぜ分かつてもらえないのかという思いをしてきました。
でも梅原先生は辛抱強くあらゆる可能性を考え、どんなときも私の気持ちを 聞いてくれて、症状を聞き、見て、判断してくれました。時には私たち患者の気持ちをリラックスさせるためたくさんジョーダンなどを言ってくれます。診察室から笑い声のする素晴らしい先生に出会えて本当に良かったです。
その梅原先生が金沢医科大学病院からいなくなると、私たち患者は誰を頼り にしたらよいのでしょう・・・
先程も書きましたように、梅原先生でなければ私の病気は見つけられませんでした。私のような患者さんは今までも沢山いますし、これからもいると思います。
梅原先生は患者にとって、この先生がいてくれる、この先生が病気を治してくれる、大丈夫だ、という希望、安心感を持たせてくれる存在なのです。このような素晴らしい先生を、私たち患者から奪わないで頂きたいのです。
今、私たち患者は梅原先生がいなくなって、失意のどん底にいます。
梅原先生でなければ駄目なのです。
どうかどうか、私たちを助けてください。
梅原先生が病院に復帰できるよう、どうぞよろしくお願い致します。
[患者の声09 石川県K様]
今日も、梅原医師の診察室に入り、診察を受けた。
診察室に入ると、気さくな笑顔で私を迎えてくれる梅原医師がいる。ユーモアたっぷりの梅原医師と私との会話。そこには、診察室とは思えない、すがすがしい空気感が、漂っている。
私と向き合う梅原医師は、人情味にあふれ、語る言葉は温かく、穏やかで、私の心は奥深くまでもが安心感に包まれる。
私が思う診療とは、医師が患者の病気を診ることも重要だが、患者への厚い思いが患者の心に深く必みこみ、心がやすらぎで満たされる様な診療が大切だと思う。
これは、私だけが感じるものだろうかと、梅原医師の診察を待つ患者さんに訊ねてみた。
「先生との楽しい会話で心がやすらぎ、落ち着く。そうすると、病気の具合も安定してきている」
また、「幾人かの医師に診て頂いたが、ようやく、心が和む梅原医師と出会えて良かったです」
また、「梅原医師は、私にとってまるで神様の様な人」という数多くの声が聴こえてきた。」(特に年配の女性からの声)
なかには自分で、作ったちぎり絵を先生に見て貰う為に、鞄いっぱいに詰め込まれた重い鞄を軽そうに持って、(手に痛みが有る方)嬉しそうに私に話掛けて下さった女性がいた。
このように、私だけでなく、多くの患者が、梅原医師の心あふれる診療を待ち望んでいる。
私も、もちろん、そのひとりである。
事実無根の梅原医師が
どうして一方的な解雇に遭わなければ、ならないのか
又、金沢医科大病院が、患者をまったく無視し、主治医の変更についての説明も引き継ぎも無く患者の心の不安や、苦しみが増す中で、病気と闘っています。
どうぞ、一日でも早く、梅原医師を私たち患者に返して下さい。
切にお願い申し上げます。
[患者の声10 石川県M様]
「医は仁術」と言いますが、私達患者と患者家族にとって梅原先生の存在はまさにその言葉そのものでした。
この度の理不尽と思える処分に対し深く憤りを感じています。発病の精神的ショック、薬の副作用による体型の変化など、人には言えない苦しみを理解し、俺に任せておけとユーモアを交えて診察の度に笑顔を見せて支えて下さったのは、梅原先生でした。
また、梅原先生は膠原病支援ネットワークにも力を入れておられ、その場では私達患者の交流があり、対話があり、それはこの先病気と戦っていこうという勇気と前向きな気持ちを与えてくれるものです。
これからも、沢山の患者さんが梅原先生に出会い、そして助けられていって欲しいと思います。
私達患者に梅原先生を返して下さい。
[患者の声11 石川県F様]
この度の、梅原先生に対する大学理事長、理事会メンバーに、私もこの上ない怒りと憤りを感じております。本当にこの人達は、病気で苦しんでいる患者や家族、そして医学を学ぶ学生さん達の事を少しでも考えているのかと思いました。人の上に立つ人間として一番大切な事が欠けている人間なんだと思います。医者は技術だけでなく、患者の苦しみに寄り添い、病気に向き合い戦う気持ちを持たせてくれる、そういう先生が本当の医者ではないのか。そしてまさしくその本物の医者が梅原先生だと、私は思っております。
私も色々な医者と出会って来た事ですが、この先生に出会って本当に良かったと心から思える先生は梅原先生だけです。本当にそう思っています。
先生には一日も早く復帰して頂き、患者のため、学生さん達のため、そして日本の医学発展のために頑張って頂きたいと思っております。微力ではありますが、少しでも梅原先生のお力になりたく、友人やお世話になっている接骨院の先生に署名をお願いし、ご協力頂きました。少しでもお役に立てたら幸いです。
これから大変な闘いがはじまるかと思いますが、絶対に負けないで、先生の思いと誇りを勝ち取って欲しいと心の底から願っております。
梅原先生とまた診察室でお会いできます事をたくさんの患者さん達と待っています。
[患者の声12 石川県K様]
私は、2011年4月に間質性肺炎を発症し入院、その半年前より、当初はリウマチと診断され、投薬治療を受け始めていました。
自身の症状、治療法、ネットで調べた情報・・・。様々に悩んだ末、これもまたネットで見つけたSICCAのサイト。
シェーグレン症候群だとは診断されていたものの、詳しく検査を受けた事がなく、何より、当時診ていただいていた先生の診断、診察に納得出来ない所があり、ダメ元でSICCAの検査に申し込み、先生と出会いました。
SICCA特定の検査に加え、私の思いや症状に対する不安などをしっかり受け止めて下さり、前主治医では進まなかった特定疾患の申請も通り、定期的に診断も受けさせて頂ける様になり、どれだけ心強い思いで日々を過ごせるようになった事か・・・。
患者の思いに寄り添い、向き合って下さる先生の診察は診察から出てこられる方々の表情や、聞こえて来る笑い声にも現れている様に思います。
ご自身が大変辛い状況にあられた中ででも、常に明るく、私達の前では変わらぬ笑顔で診察にあたられていたのだと思うと、先生の患者を思う気持ちに、胸が、目頭が、熱くなります。
「病気」を診るだけでなく「患者」「人」と向き合って診て下さる、人間味あふれる先生です。
梅原先生なくして、今の私の元気な生活はなかったと思います。
原因も解らず、治す術もなく、薬を飲まなければならないけれど、前向きに自分の病気と向き合える様になったのも、先生のおかげです。
先生の力が必要な患者さんが、たくさんいらっしゃいます。
どうか、現在、そしてこれからも増えるであろう患者のためにも、1日も早く、診察、教育、そして研究の場に梅原先生が戻れます事を心より祈っております。
[患者の声13 石川県Z様]
私は他の病院で不安な診断を受け、梅原先生に診て頂くことになりました。その時は体の症状と共に不安感も大きく、心身共に疲れ切った状態でした。
初めて梅原先生の診察を受け、これほど親身になって話を聞いて下さる先生がいるものだろうかと驚きました。
丁寧な診察だけでなく、明るくユーモアを交えた診察に不安感で、いっぱいだった気持ちが救われました。
何てあったかい診察室なのだろうと安心感に包まれたのを今でも覚えています。
その後何度も通院させて頂きましたが、その度に1つ1つの不安を取り除いて下さり、あったかいユーモアで、元気づけて下さいました。
今後何かあっても「ここに梅原先生がいて下さるから安心」と思えるほど、無くてはならない心強い存在です。
久しぶりに検査のため通院した時、梅原先生の笑顔を見た瞬間、ほっとしたような安心した気持ちになり涙が出てきました。先生の明るさですぐに泣き笑いになりましたが、症状だけを診るのではなく、一人一人と真剣に向き合って下さるこんな先生はどこにもいないと思います。
今では家族全員で梅原先生を信頼しており、このような先生とは二度と出会えないと思っております。
梅原先生と出会ったことで、例え何があっても前向きに生きていこうと思えるようになり、人としても尊敬する先生です。
梅原先生の診察を終えて出てくる方は皆笑顔です。
どうかこのような皆のかけがえのない先生を奪わないで下さい。
梅原先生を待っているたくさんの方のために、一刻も早く復職できることを心よりお願い申し上げます。
[患者の声14 石川県M様]
私は10年前に膠原病を発症し、ずっと医科大の梅原教授に診てもらってきました。今回の解雇で、もう診てもらえないのかと思うと、気持ちが落ち込んでしまい病気が悪化しそうです。梅原教授を信頼して今まで病気と向き合ってきたのに、これからどうしていいのかと不安でいっぱいです。
梅原教授は、いつも患者のことを優先して考えてくれ、私に癌の疑いがあった時も親身になってくださり、とても頼りになりました。
梅原教授の人柄というか、人間性が患者を元気にしているのだと思います。梅原教授の診察を終えた患者は、みんな笑顔で診察室から出てきます。患者一人一人に対して元気と勇気を与えてくれているのです。そんな素晴らしい梅原先生を患者から奪わないで下さい。1日も早い復職を願っています。
[患者の声15 石川県S様]
私は平成十八年から病院を五カ所もかわり、七年前やっと梅原先生と出会い、正しい病名と治療を始めることが出来ました。
今は他の誰も私が病気だと気がつかない位、平穏な日々を送っています。病気の私達にとってやっと出会った先生が突然変わってしまうことほど不安なことはありません。
パソコンばかり診て患者の顔も見ない先生が多い大学病院の中で、梅原先生はいつも顔を見て話を聞いて下さって・・・こちらの希望を大事にして下さいました。私は残りの人生をこのままの状態で生活したいと心から望んでいます。
先日、突然別の先生が担当になって・・・不安でたまりません。
一日も早く梅原先生が戻ってきて下さることを心から希望します。
よろしくお願い致します。
[患者の声16 石川県S様]
先生は私の命の恩人です。
十年前、突然病に倒れ、心身ともに疲れ切った私に、あるときは母のように、あるときは親友のように、やさしく、又、力強いアドバイスをして下さり、とてもとても励みになりました。
本当に有難うございました。感謝しております。
お陰さまで今日まで生き延びることが出来ました。
先日、先生の居られなくなった病院へ初めて診察に行って来ました。何だか淋しい、むなしい気持ちで帰宅しました。
先生、一日でも早いお帰りを期待しております。
[患者の声17 石川県N様]
十年前、突然リウマチ性多発筋痛症と「梅原久範」先生から診断され、御陰で病気も少しずつ回復し喜んでいます。
「梅原久範」先生は、一人一人の患者に対して目と目を診ながら診察をしてこられました。先生が解雇と知り、頭が真っ白になり、胸がいたむ次第です。「梅原久範」先生は患者からしたわれ、私達患者にとってとても大切な先生ですから、私達患者から奪わないで下さい。又、裁判に勝つことを心から願っています。患者一同復帰を一日も早く待っています。
[患者の声18 石川県K様]
梅原先生、いかがお過ごしでしょうか。
私は8年間もリウマチの痛みと戦い、辛い思いをしました。
先生を紹介してた頂き、診察して頂く様になり日々痛みが柔ぎ、先生のやさしい心と笑顔に助けられ、最近では喜んで生活している私です。
病気で苦しむ私達は先生に経過を相談して安心して過ごしています。
「なんの為の病院なんですか」病院内の事は私はわかりません。
患者の為に熱心に研究をして下さる姿、また講演会に出席して知識を得ました。感謝しています。
患者は痛みのない日々を暮らしているのに対して、先生を解雇した理事長を恨みます。
6年間もお世話になり、なんのお返しも出来ず心苦しいです。
一日も早く、無実が証明され、先生にお会い出来ますことを心から信じて署名をお願いして歩きました。
御体を大切にして下さい。復帰して頂きます様に祈っています。
[患者の声19 石川県E様]
梅原先生を一日でも早く私達患者の元に返して下さい。
梅原先生を信じ、通院しておりました。
ストレスが体に響く病気の私達です。
梅原先生に診ていただけない事はストレスになります。
どうかどうか一日でも早く患者の為にお戻し下さいますようお願い申し上げます。
[患者の声20 石川県Y様]
この度の梅原先生の解雇には驚きと憤りで一杯です。
先生は患者の痛みを自分のことのように受け入れられる方です。
私はCR-Pの反応が出ないタイプなので、これまでは
「他の方よりもずっとマシなほうなんですよ」と言われ続けて来ましたが
梅原先生が担当になってからは、私の「痛いJ という言葉にきちんと耳を傾けて下さり、積極的な治療を施して下さいました。
おかげで今では寛解状態を保つまでになりました。
先生には本当に感謝しています。
これからも私と同じように苦しむ患者さん達を大勢救って頂きたいです。
どうか梅原先生を一日も早く患者達の下へ返してください。
[患者の声21 石川県M様]
梅原教授の診察がとっても丁寧で、私たち患者の話に耳を傾けてくださり、さらに事細かく親切丁寧に説明してくださって、いつもとても感謝しておりました。
教授には長年お世話になっており、全ての症状から治療法まで分かっておいでです。
また、今後の治療法についても色々と相談しながら少しでも良い方向へと行くように話をされていました。
お人柄もとても良かったので、私たち患者は心が病んでおり温かい言葉をかけてくださることにより、体だけではなく心のケアにもなっていました。
私にとっては体と心の両方のケアにもなる梅原教授はなくてはならない方です。
先日診察に行ったのですが、おいでなかったのでとても寂しい気持ちになりました。早く復職して頂きたいと強く思い、病院を後にしてきました。
[患者の声22 石川県S様]
私は膠原病(全身性エリテマトーデス)の患者です。
金沢医科大学病院(血液・リウマチ膠原病内科)梅原久範教授との出会いは、北陸膠原病支援ネットワークでした。梅原教授の活動はいつも患者の立場で考えてくださっていると感じました。
病気の最新情報・治療を伝えてくださったり、多種にわたる膠原病の痛みや不安をいかに取り除いてあげれるのか、という基本姿勢で考えておられました。
先生として一番大切な心を持っておられる方です。
患者として信頼しております。
梅原教授が多くの患者さんの為にも1 日も早く金沢医科大学病院に復帰していただきたいと願っております。
よろしくお願い致します。
[患者の声23 石川県H様]
私にとって梅原先生の診察はかけがえのないものです。
先生は患者さんとのコミュニケーションを大切にし、何より私たち患者の気持ちを深く理解してくれるからです。
先生はとても気さくでユーモアのある方なので、病院の診察室という私にとって緊張してしまうような空間であっても、冗談を言い合ったり、時に笑い合ったりすることができました。
そのおかげで、私の病院に対する印象がずいぶんと変わりました。
そんな先生でも病気のことに関しては、医者としてわかりやすく病状を説明してくださったり、親身になって相談にのってくれます。
梅原先生のような方だからこそ、私も安心して治療を受けられるのだと思います。
これからも梅原先生に主治医でいてほしいという思いは、変わりません。
また診察室で、先生と笑い合いたいです。
[患者の声24 石川県M様]
私はH23年9月に強皮症と診断され、梅原先生にかかっておりました。
あるときは数値が上がったり、目の方に来てボーッとして見えにくくなりました。
その都度、眼科の先生と相談してステロイド1000mg3回点滴注射を受けたり、色々心配して下さり治療に当たっていただき、信用、安心して喜んで治療していただき、診察室へ入る時も、にこにこと長く待たせてごめんなさいと言って下さり、いっぺんに不足を思っていても吹っとびました。患者にとって、真剣に治療にあたって下さる先生、安心してみてもらえる先生。
どうか医科大のほこりとして、この先生を失いたくありません。また、梅原先生にどこまでもついていくと言っておられる患者さんもいます。どこへ行ってもなおらなかったのをなおしていただいたと喜んでおられました。
どうか、この先生を医科大において下さい。
お願いします。
[患者の声25 福井県E様]
私も梅原先生にお世話になって、十年程になります。診察の時は何時も楽しみにしながら種々話を聞いて下さいます。
ここ二十年近く病院通いをしておる中で幸い私は梅原先生の様なあつい先生にばかりお会い出来ております。梅原先生は私にとって本当に大切な先生です。どうぞ、梅原先生の為にガンバッテ下さい。
私の出身は上越市です。学校を卒業して初めて職に就いたのは松任です。今、孫が金沢の大学に通学しています。金沢は懐かしい所です。
郵便局にはなかなか行くことが出来ません。
手がシビれており、字が書きにくく読みづらいと思います。ごめんなさい。
[患者の声26 富山県T様]
私は7年間梅原先生に受診しております。今の病気が進行するのを少しでも遅くなっているのではないかと感謝しております。
これからも梅原先生に診ていただきたく、切に願っております。
一日も早く私達患者に先生を返して下さい。復職をお願いいたします。
[患者の声27 石川県S様]
遅くなりましたが、署名送ります。
教授の復帰を切望しております。
支援する会のお世話大変だと思いますがよろしくお願い致します。
[患者の声28]
私は、約4年間程、梅原先生に診察をしていただいておりました。
今月も病院へ行く予定ですが、梅原先生がいないと思うと寂しい気持ちで一杯です。先生は患者に対して「病気に苦しむ痛み、辛さ」が解る先生だと思います。微力ながら応援致しております。頑張って下さい。
[患者の声29 石川県Y様のご家族]
私は梅原久範先生の患者の母親です。
膠原病に罹り、病院に通うようになりましたが、思うように回復の兆しが見えず、ようやく梅原先生に出会い、回復の希望が持てるようになりました。
今回、金沢医科大学との問題で同大学を不当解雇されたと伺い、娘共々、心を痛めています。
先生のような患者第一に考えられ、医療に取り組んでおられる方が、このような形で大学を去ることには、とうてい承服出来ません。
どうか、このまま大学に残ることができ、これまで同様、娘を始め先生を頼っている多くの患者さんの為に医療に取り組むことを心から望んでいます。
[患者の声30 石川県S様のご家族]
梅原先生の復帰を願う者です。
実母が梅原先生に診てもらっています。
1年ほど前から母ひとりで大学病院に行くことがむずかしい状態となり、診察日には愛知の自宅から石川の実家に戻り大学病院に連れて行ってます。
実母とはいえ、年寄りといるとストレスもありついつい梅原先生にグチを言ってしまいますが、梅原先生はご多忙にかかわらず、私のグチを上手に吸い取って下さいます。
診察室を出るときは、いつも笑って出ることが出来るのは、梅原先生のおかげです。
どうか1日も早い復帰をお願いします。
[患者の声31 石川県S様]
梅原先生には、ほんとにたくさんたくさん元気をいただきました。
私は難病ではありませんが、病気になる前に梅原先生に出会い、心を治療していただきました。
前回、4月の上旬で卒業だね、おめでとうと言われましたが、あと1回先生に会って終わりにするつもりで6月も予約をとりました。
先生には、ずっとずっと診察ができますように、心からいのっています。
近所の方や私の周りの優しい方々にたくさんの署名をいただきました。
皆様の声が届きますように。
先生、いつも笑顔をありがとうございました。
負けないで下さいね。
いつも応援しています。
[患者の声32 京都府K様]
「梅原久範先生を支援する会」を立ち上げてくださりありがとうございます。
私は舞鶴で梅原先生に、もう18年程になるでしょうか、お世話になっている者です。
先生が大変な状況になられ慌ただしい中だったとは思いますが、皆様がすぐに支援する会を立ち上げてくださったのにホッとしました。
私は梅原先生のおかげで、何度も手術を受けながらも自分のリウマチ人生を有意義なものとすることができています。もし先生に出会わなければ今頃どうなっていたのだろうかと思うとぞっとする程です。私も家族も感謝の思いが一杯で何かお手伝いができればと思っていました。また、梅原先生の診察を受けられなくなった方々のことを考えると、とても心が痛み、辛くなります。
先日、梅原先生から署名用紙を頂いた時には、私にもできることがあると嬉しくなりました。思うよう皆と連絡が取れなかったのですが、私たち4 名の署名を送ります。
舞鶴の地で皆様が一日も早く先生の治療が受けられるようにと、また、この裁判が勝利することを祈っています。
梅原先生にもよろしくお伝えください。
[患者の声33 石川県T様]
梅原先生の復帰をお願いします。
私はリウマチになって、20年になります。
1998年4月からは、医科大学病院で診療を受けています。
梅原先生には、2006 年5 月から、主治医となり診療をしていただきました。
先生は親身に患者と向き合って下さり、単に数値だけの診察だけではなく、目を見てじっくりと話しを聞いて下さり、時には笑みを掛け、励まして下さいました。
リクマチの痛みや不便さは、本人にしかわかりません。
家族にも、なかなか理解してもらえず無理してしまいます、そんな時に先生からr痛かろう、無理するな、よくがんばっとるな、医療費は大丈夫かなど』必ず声をかけてもらい、その言葉にどれだけ励まされたか、元気でがんばろうと言う気持ちで家に帰れました。
ある日の待合室での事ですが、午後になり周りの患者さんが居なくなり、先生の患者さんだけが、5, 6 人まで診察待ちをしていました。
皆さん梅原先生ですかと聞くとそうですと、朝2 人新患の人が屠たからと聞き、全員うなずいていました「先生は熱心に診察してくださるからね、先生も休憩無しなのが気の毒だ」と。
皆さんがそんな話を、誰一人文句も言わず侍っていました。患者さんからの信頼の厚さを感じられ、先生が主治医でよかったと、心から思いました。
一日も早い先生の復帰を、心より望んでいます。
十分にお役に立てていないのに、温かい励ましのお言葉に目が潤んで参ります。
人は辛さを経験して初めて、他人の辛さが解るようになる。そして、人に優しくなれるんだと思いました。
皆さんの優しさに心から感謝です。。。。
ありがとうございます。
(梅原)
ここに集まっている多くの方のご支援は、梅原先生が日頃から患者さん、そしてあらゆる人間に対して飾らない人柄で温かく接して来られた人徳です。皆さんが先生を心から慕っているのは、ごく当然のことです。医師としても人としても魅力溢れる梅原先生に、患者さんばかりでなく、そのご家族や、同僚、学生さん達、また医療関係者など多種多様の方達が魅了されています。そして感謝しています。今はお辛いでしょうが、必ずや報われる時が来ると信じて、この窮地を乗り切りましょう。たくさんの味方がついています。応援しています。先生のお帰りを待ち続けています。その為に出来うる全てのことをやり遂げていきます。梅原先生なくして、私達患者は安心して治療に専念できません。一日も早い復職を勝ち取りましょう!